2015年05月18日

秋葉街道と三遠南信道(国道152号線)

三遠南信道(三河、遠州、南信州を貫く道路)は、高規格道路設計ですが、遠山の地域の部分は現用の国道152号線を改良して、当面はそれを利用するとの事です。(三遠南信道は、30年以上も前からあと10年でできると言われている感じですけど)

遠山地域内の国道152号は、もともと整備も進んでいたものではありませんでしたが、それでも最近順々と出来上がってきています。

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↑最近できた国道のバイパスです。(南信濃八重河内)


さて先日、昔の道であった秋葉街道(地元の一部)を歩く機会がありましたのでアップ致します。

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↑山の中で、秋葉街道の跡だそうです。本当にこの道を使っていた頃は、当然、植林した杉や檜ではなかったと思われます。

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↑だいたいは、庚申様や津島牛頭天王、馬頭観音。

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↑崩れた所もあります。

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↑沢があったりします。

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↑ちょっとした集落の跡。クルマでは行けれません。

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↑昔は、生活の中で神様の存在が大きかったと思います。

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↑ヤンマーNSA40

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↑ホンダE300.1965年発売のものとの事。

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↑現代の都市部の生活とは、かけ離れた感じがしてくれるところです。

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↑山の尾根を歩きます。

今の時代では、クルマや道路のある生活常識しかなかなか分かりませんが、温故知新もなかなか色々考えさせてくれるものと思います。
posted by かぐら山荘のK at 13:43| 歴史、史跡等

2014年10月21日

足神神社としっぺい太郎(早太郎)の墓

長野県と静岡県の県境に「青崩峠(あおくずれとうげ)」がありますが、昔の古道、秋葉街道のルートです。
秋葉街道は静岡県浜松市天竜区にある秋葉神社に通じる道で、主に信州側から呼称されたようですが、逆に同じ道でも遠州静岡側からすると信州街道とよばれたようです。

さて、県境の青崩れ峠ですが、そこから遠州側のちょっといったところに「足神神社」と、怪物を退治したという犬「しっぺい太郎(早太郎)の墓」があります。


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↑浜松市水窪(みさくぼ)にある草木トンネル付近にある脇道に入り、青崩峠を目指します。

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↑足神神社。

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↑足に関する願いがたくさんかけられていました。

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↑クリックで拡大してお読みください。
足神様は、足に御利益のある神様として多くの参詣者がこられるそうです。


さて、足神神社のとなりに「しっぺい太郎(早太郎)の墓」があります。

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↑クリックで拡大してお読みください。

「しっぺい太郎」は昔、現在の静岡県磐田市あたりで、長野県駒ケ根市にある光前寺から借りてきた犬に怪物を退治してもらったとの昔から伝わる話です。祀ってある磐田市の霊犬神社まで行ってきました。

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↑静岡県磐田市にある見付天神 矢奈比賣(やなひめ)神社。そのおとなりにあるようです。

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↑つつじ公園内にある霊犬神社の鳥居。

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↑霊犬神社。犬を祀った日本唯一の神社だそうです。

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↑クリックで拡大できます。

さて、長野県駒ケ根市にある光前寺ですが、何年か前に行ってきた写真がありまして、せっかくですのでこちらも載せたいと思います。

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↑駒ケ根市にある光前寺。

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↑光前寺本堂。

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↑お寺の敷地内に「霊犬早太郎」の墓があります。光前寺では名前が早太郎となります。

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↑早太郎の像。

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↑クリックで拡大してお読みください。

この言い伝えは、まんが日本昔ばなしにもなっていて、「猿神退治」という題であるようです。
(動画サイトのユーチューブでも見れるようです)

posted by かぐら山荘のK at 16:25| 歴史、史跡等

2014年09月14日

ミシャグジ様

以前、裏の畑でジャガイモ仕込んでましたら近所のおじさんが来て「ミシャグジ」様の話になりました。ミシャグジ様はだいぶ昔の神様だそうで、諏訪にゆかりがあるそうです。

遠山の地域にもいくつか祀られているとの事で、畑を途中でやめて案内してもらいました。

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↑このた地区にある社宮司神社。しゃぐじと読むのでしょうか。古い神様の為、名前もそれぞれで変わってしまう事もあるそうです。


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↑木沢地区にあったミシャグジ様の祠(ほこら)。


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↑木沢地区のミシャグジ様の祠の近くにある神社。遠敷神社と書いてあります。
(すいません、ミシャグジ様の話とは関係ありませんが)


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↑上村地区にある祭り伝承館にて。「おしゃぐり様」のしゃもじ。
説明文は、(「おしゃぐり様」は、上町にあり、失し物、探し物に霊験あらたかとされ、地区の人達の信仰を集めています。失し物や、探し物等が見つかると新しいしゃもじを1本買ってきて御礼をする習わしになっています。ただし、失した物が恋や夢等の場合はしゃもじ1本では無理のようです。)との事。

恐らくですが、神様の読み方が色々変化して「おしゃぐり様」になり、探し物の御利益があって、しゃもじを奉納するようになったのではないかと思います。
(色々な説があると思いますので分かりませんが)

他にも祀ってあるところがあるそうですが、機会があればまた行ってみたいと思います。


参考ウィキペディア



↓上村の祭り伝承館です。

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posted by かぐら山荘のK at 02:02| 歴史、史跡等

2014年06月07日

秋葉街道(長野県伊那市長谷地区)

長野県伊那市長谷地区にある、古道の秋葉街道に行ってきました。
秋葉街道は、静岡県浜松市にある秋葉神社へ通じる道です。

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↑今回は秋葉街道信遠ネットワークという会の集まりで、浜松市水窪地区や大鹿村地区、飯田地区の方々とご一緒させていただきました。

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↑ガイド案内していただいています。


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↑山の中の道です。看板や道を何年か前に整備したそうです。なお、写真に秋葉神社の方向案内がありますが、ここから秋葉神社まで古道だと150キロ以上はあったと思われます。(途中、宿場町がいくつかあります。)


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↑三谷幸喜監督の映画「short cut」という映画の撮影で使われたものが残っていました。


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↑途中、中央構造線の露頭と思われるところがありました。


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↑古道から現用の道へでてきました。

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↑旧長谷村地区の集落。昔の面影のある建物があり、かやぶき屋根の家もありました。

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庚申様など。


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↑宝篋印塔(ほうきょういんとう)。室町時代にまつられたものとか。


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↑市野瀬古城跡。

この後、入野谷(いりのや)の宿で総会を行いました。


伊那市長谷地区はゼロ地場の分杭峠で有名です。遠山郷からは国道152号線(途中迂回路あり)で2時間程かかりますが、古道の秋葉街道つながりという事で、信遠ネットワークという会で、交流や地域連携の取り組み(模索段階)を少しずつ行っています。


posted by かぐら山荘のK at 21:33| 歴史、史跡等

2014年04月03日

遠山郷神様王国ウォーキング

神様王国という会がありまして、ガイドにつきまして主に南信濃和田地区でやっています。商用ベースのものではなく、どちらかいいますと同好会のような会になるかもしれません。




http://www.tohyamago.com/kami/
↑神様王国ホームページ

依頼によりガイドをしてくれます。窓口は観光協会になります。
※この動画は担当者Kが撮影、編集したものです。

posted by かぐら山荘のK at 01:50| 歴史、史跡等

2014年03月28日

秋葉街道の跡

遠山郷地域を縦につらぬく国道152号線ですが、静岡県浜松から長野県諏訪のあたりまでの国道です。地質の関係で、国道建設当時の技術ではなかなかトンネルを作れなかったとの事で、静岡と長野の県境など、迂回する山道があったりします。

さて、その国道152号線の昔、秋葉街道の跡の写真です。

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写真はある集落跡の付近です。残念ですが、現在になり道路を建設中ですので、今は残っておりません。
(木は植林したものと思われます)

連れて行ってくれた近所のおじさんは、石垣を色々調べておられる(年代により作り方が違うとか、人力で当時作った様子を考えるとか)ようです。石垣というのは時間がたっても残りやすいという事で、現在は人が住んでいない所でも、写真の通り残りやすいようです。

昔は自動車なんか無かったので、道幅が写真の通り、せいぜい1m前後とかでしょうか。馬や牛も通ったと考えられます。

長い歴史で考えると、モータリゼーションというのはごく最近おこったものというような感覚になったりします。


posted by かぐら山荘のK at 03:31| 歴史、史跡等